レーダーチャートで比較する二人の五郎

最近のお楽しみと言えばもっぱら毎週水曜深夜に放送されているドラマ版孤独のグルメである。
開始前はどんなもんであろうかとやや訝ってもみたが、始まってみればネット上での評価も上々、自分もすっかり虜になり今では時間前になるとテレビの前で姿勢を正し鎮座するのが習慣となっている。

原作付きドラマの場合どうしても元のイメージがつきまとう為に、元来のファンから厳しい見方をされがちではあるが松重さんの演じる五郎は原作とはまた違った味わい深さと個性で、最近ではもう一人の五郎として認知されているようである。
だが原作と比較して完全に別物と割り切れるかというとそうとも言いきれず、ドラマ五郎からも五郎らしさが滲み出てくることが多々ある。
これはドラマ班が原作をリスペクトし原作の名セリフを使ったり、ドラマのセリフ自体も久住氏の事前チェックが入っているせいもあるのだろう。実際ドラマのセリフが原作五郎の口から発せられても違和感がないように感じる。
無理に似せ過ぎようとしても白々しく、元のイメージを無視しても台無しになる。この程よい距離感が丁度いいのだろう。

では具体的に二人の五郎の違いはどこにあるのだろうか?また五郎っぽさとは何であろうか?それをちょっと自分なりの視点で考察し纏めてみたら面白いのではないかと思い、比較しやすいように二人のパーソナリティをレーダーチャートを用いて視覚化してみたので一つずつ追っていきたいと思う。

1.食欲
作品の趣旨通り両者ともかなり旺盛である。中年とは思えない量を食う。周りの目も気にせずやたらと頼む。
だが安定感という点で見るとドラマ五郎の方にやや分があるようだ。
原作五郎の場合、川崎焼肉や深夜コンビニの時のように常軌を逸した暴走を見せることもある一方で万世橋カツサンドのようにあっさり済ませてしまうことも多い。元ネタの万世のカツサンドは実際食したことがある人なら分かると思うが一切れ一切れが小ぶりで一人前の食事としてはやや物足りない。群馬の焼きまんじゅうも同様、あれも一食に満たない量である。
 これに比してドラマ五郎は常にハイペースで攻める。初回の焼き鳥居酒屋から焼き鳥7本→ホッケスティック&信玄袋→つくね&ピーマン→焼き飯と連続コンボを決めてみせる。食事の店では必ずサイドメニューを頼む。圧巻だったのは鷺ノ宮の回でミックスカツ(トンカツとチキンカツの二段重ね)の後にロースにんにく焼きを追加で頼んだことだ。油と油のコラボレーション、ライスのおかわり付き。また大福やメンチカツなど途中寄り道する姿も散見される。
ドラマ五郎は安定して腹十分目を維持しているのに対し、原作五郎は腹六分目くらいの時もあれば腹十五分の時もあると乱高下ぎみである。

2.容姿
ドラマのキャストが発表された時に真っ先に違和感を覚えたのはその容姿である。
漫画連載開始時に谷口ジロー氏は編集者に「ハードボイルドグルメで」と言われたらしいが、五郎役の松重氏も確かにハードボイルド的要素を持ち合わせているがいかんせん顔が厳つい。全体的にゴツゴツして唇は温州みかんのようである。
原作五郎はハードボイルド系といってもあっさり目で島耕作のような一見優男的なスマートさを感じさせる。
それに比べて強面な印象が強いドラマ五郎はやや低めの採点にした。
しかしこの採点がそのままキャラクターの優劣に素直に直結するかと言えばそうとはいえないだろう。
この作品で求められるキャラクターというのはやはりハードボイルド・ダンディといった大人の男臭さである。
なぜならもっとも食に執着しなさそうな人種だから。
大の大人がたかが食べ物で一喜一憂する滑稽さがこの作品の醍醐味であり、そのギャップ効果に必要なのが大衆的な食堂でご飯を貪るより落ち着いたバーで酒を飲む姿が似合う上記のようなキャラクターなのである。敢えて酒が飲めない設定にしたのもその辺の意図が感じられる。
そう考えると両者の五郎には見た目ほどの差異はないのだろう。

ちなみに最近では原作五郎も鼻がやたらと大きくなり以前よりダンディさが損なわれているようだ。
お茶漬けの回で見せたスルメを齧る表情は何とも間の抜けたものであった。

3.決定力
決定力とは当初の目的に対する達成感と置き換えてもいい。この場合で言えばどれだけ食事に満足したのかということだ。
これは原作五郎では著しく低い結果になっているが、原作ファンならその意味を瞬時に理解できると思う。
とにかく原作五郎は失敗が多い。
その要因は外的なものによることもあるが、自分自身がトラブルメーカーになることもある。また外的な要因も突き詰めていくとやはり自身の問題だったりもする。
その原因は彼の完璧主義者的な面にあるからでないかと推測する。とにかく彼は食事から最大効用を得ようと余念がない。
店に入る前から段取りを決め注文のイメージを固めてと入念に計画を立てる。だがそれは一方で固定観念に縛られていることにもなり、見知らぬ店に入れば当然あるべきと期待したメニューがなかったりとハプニングに襲われる。
事前協議により否応なしに高められた期待が裏切られた時に彼は大いに失望する。もっと気楽な気分でいけばいいものの、それが出来ないが為に憂き目にあう。
また場の雰囲気にも相当の拘りがあるようだ。どこか動物的な縄張り意識を発揮するのか、静かな食事を邪魔するものには容赦なく牙を向いたりする。ハンバーグランチの店長やお茶漬け屋のリーマン客など彼のアームロックの犠牲者は多い。
そしてやっちゃった後は狼藉をはたらいたことへの反省と食べられなかったことへの後悔により鬱屈してしまう。

一方のドラマ五郎は事前シミュレーションなどの真似はしない。
辺りをうろつき、何となくな感じで目についた店にすっと入りその場でメニューを選ぶ。
「当たって砕けろだ。失敗すれば後悔すればいい」そんなセリフを店に入る前に呟くが、結果的にその軽さが功を奏することが多い。
事前のイメージに頭も胃袋も凝り固まっていないから、失敗と感じることも少ないのだろう。
ただ単に出されたものを何でも美味しく食べられる性分なだけという可能性も否定できない。

4.社交性
五郎のような個人で商売をしている人間にとって社交性は必須スキルと言えるが、食事に関しては作品の趣旨から外れるのでむしろ不要なスキルと言える。
なので社交性を議論するには食事以外のシーンに着目するのが得策だが、原作ではページ数の都合か仕事や日常的な描写が少なく交流関係があらわになることがあまりない。これまでに登場した知人と言えば小雪とフトシとジェット滝山くらいのもので、その日常はベールに包まれある種神秘的な存在にも見えてくる。普段からスーツばかりで隙のなさそうなのもさらに神秘性に拍車をかける。球場くらいはカジュアルな格好で行けばいいのにとも思う。
食事シーンにおいても大阪タコ焼き屋台のような人の集まるような場所でどこか所在なさげで気後れする姿を見るに知らない他人と意気投合するようなタイプでも無さそうであり、基本的に他人に深入りしない、もっぱらの孤独人なのであろう。

それに較べドラマ五郎は人並みな社交性を見せることが多い。仕事もそれなりの人脈を持っていそうだし、プライベートでなじみの常連や古い仲間と約束したりと他人との交流は割と活発で、また食事シーンでも店員や他の客との接触も多い。
孤独を謳ってはいるものの意外と孤独でないのがドラマ五郎である。

神秘性から真の姿を推し量るのは難しいが作品上で表出する部分だけを見れば原作五郎の方がより孤独の純度が高いのではないだろうか。

5.俊敏性
ドラマを見ていていつも気になるのが五郎の動きがやたらと緩慢なところだ。
食べ物を口に運ぶ動作や脳内語りの口調、他者との対話時に見せる歯切れの悪いレスポンス、いずれを見てもスローモーションに映る。歩く姿もどこかロボットっぽくギクシャクしている。
感情面でもドラマ五郎がどこかフラットな印象を受けるのは、ゆったりしたしゃべりと大きく動かない表情にあるのではないだろうか。
これだけ緩慢だと横暴な店長が向かってきても上手にアームロックをかけることなどできやしないのではないかと心配になってしまう。


 以上5つの視点から両者を比較し人物像を浮き彫りにしてみたが、こうして見ると共通点より相違点の方が多いようだ。
ドラマ五郎がアナザー五郎として原作から遊離し比肩しているのはこの相違点によるものであろう。
しかし五郎らしさというものを探るのならば着目すべきは共通点の方だ。
ここで上げた共通点とは食欲・ハードボイルドの2点であり、これらをもう少し深く考察してみたいと思う。
 まず食欲についてだが、量的にはメタボにならないのが不思議なくらいの旺盛さを発揮している。この事実は先に述べた通りハードボイルドな虚像と実像の間に絶妙なズレを発生させ、喜劇への転化の役割を効果的に果たしている。
 また食への姿勢や嗜好などの側面にも言及してみると、食の安全性や健康など体を気遣った生きるための食への意識は薄く栄養やカロリーを気にする気配は無い。せいぜい目の前に自然食の店があったから入ると言う程度のものである。大事なのはむしろ今何を食べたいのかと言うことであり、その場の気分が意思決定の大きな指標となる。食に対して享楽的・刹那的な姿は、子供っぽく幼稚でハードボイルドらしくない。
加えて味に関するボキャブラリーも「うんうんこれでいいんだよ」みたいな自己完結的なものが多いのも思考をうまく言語化できない子供のようである。

次にハードボイルドだが、久住氏原作の漫画にはハードボイルドなキャラクターが他にもいる。
かっこいいスキヤキ収録の「夜行」や「食の軍師」に登場するトレンチコート姿にソフト帽を被った本郷というキャラだ。
いかにも裏稼業を生きてきた風な容貌だが、泉晴紀氏の描く本郷はコミカルな画風でギャグ路線で行くぞと強く主張しているようだ。それに対し谷口ジロー氏が描く五郎は写実的劇画調であり両者では趣が違う。
 この二つを並べ較べてみると内在する滑稽さはどうであれ五郎は外面的にシリアスを演じることを余儀なくされ、またそういった役柄に松重氏はぴったり当て嵌まっている。
以前長嶋一茂主演で打診があった時は久住氏は丁重に断ったらしいが、それもやはり長嶋一茂に定着したバラエティ的なイメージがゆえの判断だったのだろう。

 ここまで長々と述べたが、つまるところドラマが多くの人間に受け入れられ成功した背景には、原作の持つ劇画的シリアス路線とその裏に潜む喜劇的なものを踏襲したところにあるでのないだろうか。
人波に埋没してしまいそうな小市民的人間が、食事時に異彩を放つ積極的・急進的態度と自由奔放な振る舞い。謹厳実直と道化の二面性を宿らせている姿が五郎を五郎足らしめているものなのだろう。


孤独のグルメ 【新装版】

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